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「団塊の世代」最終回

3月20日 雨
朝から冷たい雨が降って、また冬眠しています。



「団塊の世代」のタイトルとはかけ離れて、思い出話的になってしまいましたことをお詫びいたします。

「団塊の世代 18(最終回)」
電気屋時代 (じいさまの場合)

電気屋さんへ就職したのが19歳の8月31日だった。
30日に宮古を出発して、夜行列車で朝早く上野へ着く。当時の上京手段はこれが一般的だった。

就職した電気屋さんは、本社が神田淡路町にあって、三多摩に7店舗の支店を展開している、店は小規模だったが安売り量販店の走りだった。
配属は、同郷出身者が店長をしている所沢店だった。

倉庫兼社長の自宅が武蔵野市にあって、そこに毎朝車で、各店から注文品とか前日の売上金を持ち寄るシステムだった。
武蔵野市の倉庫の近くに6畳一間のアパートを寮として借りてくれたので、パブリカトラックがじいさま専用の公私の自家用車となり便利だった。朝倉庫に寄って所沢までを往復する毎日だった。
仕事は、店番と配達、修理と日報の記入となんでもだった。特に好きだったのは出張修理で、その頃は真空管白黒テレビの絶頂期で、真空管の故障が殆どでテスターがあれば大体直せた。
食事までご馳走してくれるお客さんもいた。地方出身者でかわいそうと思ったのだろうか。それに今でもだが車の運転を好きだった。

三億円事件はその頃だった。東村山方面へ配達か何かで出かけたときに雨の中をパトカーが、サイレンを鳴らして何台も走っていたのを記憶している。
事件後も何度か検問に引っかかった。いつもジュラルミンの大きな修理バックを積んでいたために必ず開けさられて説明までさせられた。

2年ほど続いたころだった。新しい支店を一店開店した後だった。その頃ライバル店が出現して、そちらは店舗規模も格段に大型だった。何となくいやな噂も耳に入ってきた。

ある日、店長は外出か何かで不在で、一人で店番をしている時だった。数人が店に入ってきて紙きれをたくさん持って「差し押さえです」という。本社に電話したら「貼らせてください」だった。
商品に紙をペタペタ{差押}と書いた紙を張って「紙を貼った商品は売ってはなりません」だった。通る人はじろじろ見ていくし、恥ずかしいやら心細いやら。21か22歳位で差押の現場に立ち会った者はあまりいないだろう。
それからも、会社の名称を変えて店舗を少なくして営業したが所沢店は残った。じいさまも嫌々ながら最後のほうまで勤めてた。

あるときに、その会社を辞めて通信関係の下請けをやっていた人が来て、「今度大阪で仕事があるから来ないか」の勧めに乗ってまた転職。

この仕事は会社は何回か変わりましたが、じいさまのこれまでの糧の仕事となりました。ここからの続きは、リタイアしてからまだ日が浅いので、同僚とか関係者が読んだときに、会社を特定出来たりして迷惑がかかるかも知れないのでこれで終了します。

長い間読んでいただきありがとうございました。次の特集はまだ考えてませんが何かを見つけて書こうとは思っています。

電気店
電気屋時代 武蔵野市の倉庫で朝の積み込み風景

慰安旅行
慰安旅行になぜ蝶ネクタイなんでしょうね
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