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団塊の世代・・(じいさまの場合)連載

2月23日 晴
今日も寒かったです。家で怠けていました。明日からは少し動きます。
昼前に、孫3、5と娘がやってきました。気温が低いので家の中に閉じこもりでした。
夕方近くになって、志津の図書館へ皆で本を借りに、志津の図書館は蔵書数も多くて重宝しています。

DSCN1086.jpg
志津図書館の子供の読書室 孫3が5に紙芝居を読んでやって・・・孫3は面倒見がいいです。



本日からの団塊の世代シリーズは、じいさま個人の心に残った思い出とか出来事を、それが社会に出てからどんな影響があったか、年代順に何回かに分けて書いていきますのでよかったら読んでください。

団塊の世代 Ⅲ
団塊の幼少年時代(じいさまの場合)
じいさまは、1947年4月に岩手県宮古市で四男二女兄弟の下から二番目に生まれた団塊世代の足かけである。
近所のほとんどの家庭もそうだったが、とにかく子供と一家族単位の数がが多かった。
おじいさんおばあさんと同居家族が多く、今みたいな二世帯住宅に玄関台所が別、というのは皆無に近く「あそこの家ではどうやって寝てんだろう」とか、いらぬ心配をしたりとか、多くの家が広くない家に大家族で住んでいた。
食物も家族が多いと大変で、特にお菓子があったときなんかは分け前が少なくて、小家族の家が羨ましかった。
幼少年時代の遊びは、町内毎にまとまってグループが出来て、必ず上級生のリーダー(ガキ大将)がいて、各学年が一緒に屋外で遊んだ。
ガキ大将以下、指揮命令系統がよく出来ていて、うまく統率されていた。今みたいに子供の遊びに親が付いていくことは全くなかった。それでも大きな事故があったのは覚えていない。
いじめ的なのはあるにはあったが、カラッとしたいじめとでも言うのか陰湿ではなかったような気がする。
例えばかくれんぼ、町内何処でも有りのかくれんぼ。その頃は長屋も多く、隠れる路地とか物陰は豊富だった。鬼になると見つけるのはごく稀であった。日没とともに自然終了で、次の日もその続きで鬼も同じ子、鬼が泣き出すとガキ大将がジャンケンで鬼を替えてくれるといった子供達だけのいい?世界だった。
そんな環境で幼少の頃から育ってきたからか、社会に出てからも団塊の世代は年功序列のしきたりに、何も疑問を持たず要領よく立ち振舞ってきたのかなとも思う。
Secret


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