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震災から2年Ⅱ

3月12日 晴
昨日が震災から2年でした。長かったような短かったような複雑な気持ちです。
前回の続きです。
先ずは高台へと思って車を走らせましたが、夕方には実家に戻れるだろうぐらいに軽く考えていました。
高台にある義兄(正虎)宅に行って、お茶でもご馳走になって落ち着いたら帰ろうと思っていました。
ところが、カーナビのテレビで、魚市場の近くの道の駅(なあど)あたりの車が何台も流れている映像が目に飛び込んできました。これは実家辺りは終わったなと直感しました。
近くの国道はもう、車が長い列をなして並んでいます。
結局、その夜は、義兄(正虎)宅へ全員お世話になりました。奥様(義姉)も勤めから帰ってこれなくて、義兄には食事の用意とか布団の用意まで、申し訳ないことをしました。
電気が止まったのが不便でした。携帯ラジオしかありません。映像が全く見れません。
ロウソクの灯で、鍋で炊いたご飯をご馳走になり、男性は酒まで飲みました。今夜あたり飲んでいる奴はだれもいないだろうなと言いながらも飲みました。
次の早朝に、義兄とカメラを持って出かけました。車で行けるところまで行って歩きました。
最初に見た故郷の姿、地獄でした。声も出ませんでした。それでもがれきを避けながら撮ってきました。
何枚か公開します。
その日は徒歩で、海から離れていて無事だった姉のところへ行って兄弟の合宿生活が始まりました。
何も言わないのに、役割分担が自然と決まるものです。小さい頃を思い出して結構楽しい合宿生活でした。
姉の家は、その夜には電気が通じました。蛍光灯が点いたときは全員で拍手でした。2日目には水道も出て快適でした。
着の身着のままだったので、近くの{洋服の青山}で下着とか最小限の物を買ったら、被災者と思ったのでしょう。悪いくらいにおまけをしてくれました。世の中捨てたものじゃないです。
3月19日から東京行きのバスが開通して、3月20日になって車を置いてとりあえず佐倉に帰って来ました。
書きたいことはまだまだあったのですが、文章がうまくないのと、根気が続きません。
義兄が、昨日11日に故郷の今を撮ったので送ってくれるそうなのでまたアップします。


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震災の次の朝、最初に見たのがこの景色 岸壁が流されていました


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こんな高い場所に車が仰向けに


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ここまで津波がおしよせたようです この先はがれきで進めません


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地獄絵です


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小学校が避難所になっていました プールの水をトイレに使うのでしょう


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小学校のフェンスに押し寄せたがれき フェンスは超えなかったようです


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津波の力は凄まじいです


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昨日の今日なのに水が透き通っているんですよね



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実家があった辺りです


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港町交番 ここのおまわりさんが何人か殉職したそうです


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旧魚市場 屋根の上に船が


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実家に来ると必ずこの銭湯に来ていました 津波の時間は営業していたはずですが


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千葉県佐倉市在住のガンコじいさん

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